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「原点民藝」
著者 池田三四郎 発行 1986年 
写真家の後、民藝運動に共鳴し、松本民藝家具の社長を務めた
池田三四郎のフォトエッセイ。

この本の巻末に、全国の民藝館案内があり、その中に

松本民藝生活館 近日公開予定

とある。

今は無くなっていると思うが、昔、松本駅前の地図の片隅に
● 松本民藝生活館
という、文字を見つけて、探して行こうとしたが、どうしても見つからない。
あとで、松本民藝家具の職人の寄宿舎であるから、外部の人は入れないことを
知った。


この松本民藝生活館の本を入手した。
発行が松本民芸生活館となっている。
初版は昭和46年で、落掌したのは昭和53年の3刷だから、少なくない冊数が
発行されたことが想像出来る。

この目次に「クラフトの体験と知恵」「クラフトの組織」という項目を見つけ
いささか驚いた。

紐解いてみると、以下のように使われている。

「クラフトの体験と知恵」
 昔はよく「農は国の基」と言われたが、私はこれを「クラフトはは国の基」といいかえたい。
勿論クラフトとは人間の手に夜技術的な仕事のことである。このクラフトの錬成によって、
クラフトを生活の手段にしようとしまいと、人間というものはどこかで、このクラフトの錬成に
よって得られる健康な「行」の知恵を身につけなければならない、と信じている。

「クラフトの組織」
 われわれはかつて危機に瀕した家族的クラフトの集団を組織化することによって、故柳宗悦先生の
切なる希望である松本木工家具のクラフトの生命を護って来たのであるが、その在り方もここで
さらに一歩を進めて考えてみなければならない時点に至っていると思うのである。
 とく問題とすべきは後継者である若いクラフトマンと、新しいクラフトマン・シップ(職人道)の
形成のためにどのようにすればよいか、これが技術的クラフトの伝承を当時に今後の民芸活動の
前向きな方向として考え、実践していかねばならない大事なところに立っていると考える。



と、ある。

平成2年に沖積舎から発行された、同じく池田三四郎の「松本民芸家具への道」にも
クラフトの文字は出てくる。

 もともと民芸の仕事は、人を集めて、機械を使って、規模を大きくしてやれば良いというものではない。
なんといっても手仕事だから、クラフトマンを育てなければいけない。クラフトマンは簡単に
育つものではないのだから、急に生産量を増やすことは出来ないのである。


 そもそも、池田三四郎はカタカナを好んだ人のようで、文章には民藝という
ことばのまわりに、クラフトだけでなくパッションやヒューマリズムやら
セクショナリズムなどカタカナがやたらと出てくる。だから、「クラフト」も
自然と出て来た言葉なんだろう。

 日本クラフトマンデザイナーの設立が1956年
 クラフト・センター・ジャパンの財団法人の認可が1960年。
 「松本民芸生活館」の発行が1971年。
 まったく、「クラフト」が認知されていなかったことに、少々、悲しくなる。

 そして、この地で「クラフトフェアまつもと」が31年も続いている。

 池田三四郎が今、生きていたら、「クラフト」をどんな風に使うだろうか、
そして、「クラフトフェアまつもと」が「クラフト」という言葉を使わなかったら、
などと、この冊子を見ながら、思った。



 ちなみに、池田三四郎は国井喜太郎賞の第一回(昭和48年)受賞者。
 


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